追ってもらう恋をやめたら、余韻のあるセックスが待ってる。

次男の体操服を入れる袋に貼っていたアップリケが取れました。
アイロンの熱で貼り付けるものなのですが、こういうのって何回か洗濯すると結構すぐに取れちゃいますよね(泣
縫い付けようか、布用ボンドで貼ってしまおうか。
でもどちらも面倒なので、ちょっと放置しています。

 


飽きずにピーチ姫を助けに行ってあげるマリオ
仕方なしなのか、もはや趣味なのか…愛なのか…

 



セックスの後。

後、と言っても直後ではなくて、次の日の朝や3日後とか。
もしくは1ヶ月後、1年後、10年後でも。

あの時のセックスが身体の奥底に残っていて、あの人のことを忘れられない、と。
後から思い出して身体の奥に熱さを感じるような余韻に浸れるセックスを、あなたは今まで生きてきた中で何度か経験したことがあるかもしれません。

 

もちろん、そうういった経験がなくても全然大丈夫です。
愛する人と肌と肌を重ねて、そこで一瞬でも「しあわせだな」と感じることもできますし、肉体の快感だけを追い求めてセックスの中でその快感に浸ることもあります。

「余韻」が全てではないので、感じられなくても気にしないでくださいね。

 

ただ、もうそろそろ「余韻に浸るほどの忘れられないセックスをしてみたい」と。
あなたがそう思ったのなら。

もしかしたらそれは、あなたの無意識さんが「もう追われる愛を求めるの、やめる時じゃない?」と、そう感じているときかもしれません。

 

追われる愛とは、恋人や好きになった人に「向こうから好き好き攻撃をしてほしい」という愛され方のこと。
相手からの好意を追い求めて「自分からはあまり動かない」恋のかたちです。

 

追うより追われる方がいい、と。
そういったフレーズはもう古いのかもしれませんが、私たち40代〜60代という世代は雑誌やテレビなどの情報によって「それが良し」とされてしまったのもありますし、世代に関係なく、いつの間にか日本に住む私たちの無意識に植え付けられた「望む愛のかたち」だったりするのかもしれませんね。

 

ただ、理由はどうであれ「追ってもらう愛」を求めるとき。
その根底には「自分から好きになって嫌われたらイヤだな」という傷つきたくない願望や、「追われることで自分の価値を感じたいんだよ」という自己肯定感を高めたい欲求があるのだと思います。

 

恋をして人を好きになるということは気持ちの矢印が自然と相手に向けられるものなのですが、それが一周回って「自分」に向いているのですよね。そしてその場合、追ってもらうことに価値をおくから、相手の本当の気持ちとか、やってくれている行為に対して、見ているようで見ていないことにもなったりします。

 

そして、追ってもらうことに価値を求めた状態でセックスをすると、あまり気持ちよさを感じられないセックスになってしまうことがあるのです。

 

なぜなら、自分から快感を掴み取ろうとしないから。

 

してもらうことという量的なもの質的なものを計りにかけてばかりで「相手がどれだけ私に尽くしてくれたのか?」に意識が向いてしまい、今日の前戯は手抜きなんじゃない?とか、気持ちいいけどここで気持ちよがったら手を抜かれるんじゃない?とか。

「もう追ってくれなくなったらイヤだな」と頭で考えながらのセックスになってしまうので、本来お互いのエネルギーを交換したりお互いに感じ合うことを本能的にするのがセックスなのに、責めとか受け身とかそういう話でもない、ただの「冷めたセックス」になって感度が下がってしまうのですね。

 

「追ってもらいたいし、それが愛されていることだ」というのは、頭の中で考えて作られた偽物の愛のカタチ、なのかも。

 

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根本さんへ。愛される女性は毎日がオナニーです。

そして、私たち女性の絶頂感は出すのではなく「吸収する」です。

そもそも絶頂感は、女性のカラダを妊娠しやすくさせるためにあります。

精子を吸収する力を強めるために、オーガズムによって膣や子宮に細かな痙攣を起こさせるのです。

それによって、まるでスポイトのように精子を吸い取ることができてしまう。

男性が「気持ちいい?」と聞いた、私たちの「うん。気持ちいい…」の先にあるのは、吸収なのです。男性から出されたものを吸い取ることができる、素晴らしい肉体なのです。

きっとこの吸収する気持ちよさは、男性にはわからない世界だと思います。

絶頂感が出すことではなくて、受け入れることだなんて。

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セックスのとき。待っているだけでは絶頂感は起こりません。

もちろん肉体の内部で起きてることに対して、「吸収しよう」「掴み取りに行こう」と思っても、実際に膣内の筋肉を動かすことは簡単にはできませんよね。(できるけど慣れが必要)

だけど、「自分から目の前の人としっかりと繋がりたい」「どう思われてでも、私の感じるままをさらけ出したい」と、相手から追われることを手放したとき。

本能的な愛撫、本能的な動き、本能的な快感が増して、身体の内部が疼いたり動き出したりして、そこから熱くなるようなセックスになっていくのです。

 

そう。

その熱さが余韻、になります。

 

ふとした時に、身体の奥から「あの熱さ、よかったよね」「また、あの熱を感じたいよ」と湧き出てきて、あのとき、あの瞬間の触れ合いがまるで「いまこの瞬間、絡まり合っている」ような。

やさしくて満たされた感覚。

そこに「恋心」があるとしたら、忘れられない恋、もしくは今も関係が続いている恋、になっていると思います。

 

そしてもちろんこの「余韻」は、私たちのセクシャルエネルギーになります。

生きる命のエネルギーとなり、あなただけの魅力として、これからまた結びつく人へと放たれていくのです。

 

追ってもらう恋は、その瞬間楽しいかもしれない。

毎回マリオが現れて、あなたをずっとずっと追いかけてくれるかもしれない。

 

だけど、その繋がりって浅いよね。

 

あなたが「余韻のあるセックスだった」と思い出せるのであれば、あなたは自分で掴み取りにいくことができる人、ということですね。

だから追うとか追われるとか、そんないらない「定義」からはもう離れて大丈夫。

あなたが生み出すあなただけの恋のかたちに、胸を張って。

 

自信を持って大丈夫です^^

 

 

 

 

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