好きな人は自分のものにはならない、というところからのスタート

小学生の頃から編み物が好きで、大晦日の紅白歌合戦を見ながらマフラーを1本編む、というのが私の年越しの定番でした。

ただ、ここ10年くらいは編み物をする時間があるなら他のことをやりたい(ブログを書いたり星読みやタロットの勉強とか、とりあえずゴロゴロする、とか)というのがあって、どうしても編み物を遠ざけてしまっていたのだけれど、最近急に「やっぱり一番大好きなことに時間を費やそう!」という思いが湧き立ち、押入れから編み物セットを引っ張り出して、ただ編みまくるという至福の時間を過ごしています。

 

母にはモチーフ編みを繋げてショールみたいのをプレゼントしようかなとも思っているのだけど、私の中でどうしても「母へのプレゼントの怖さ」が出てしまって、あげたい気持ちもあるけど、どんな色にしたら喜んでもらえるのかな?どんな毛糸の種類なら気に入ってもらえるかな?とか「どうせ否定される。どうせ喜んでもらえない」が出てしまって、まだ何を編むのかを決めかねているところ。

母による心の支配が47歳の今も続くし、きっとこれは一生続くのね。
だけど母じゃなくても気に入ってもらえるかなんてあげてみないとわからないし、渡したかったら渡せばいいだけですよね。
プレゼントは自らのエゴ(自我)でしかないのだもの。

 

 


父に編んだマフラー

 

父のマフラーを編んでいて、思い出したことがあります。
それは「生まれてきて一番最初に好きになった異性が、お父さんだったな」ということ。

そしてそれは、お父さんの優しい笑顔が好きとか、お父さんの逞しい背中が好きとかそういうことではなくて(理由もわからず異性として意識してしまう、好き)だったと思う。

 

ほら。子どもあるあるかもしれないけれど

お父さんと結婚するって結婚の意味もわからず口に出してしまう感覚
自分の中にある小さな小さな「女」としてのエネルギーを感じる感覚

男の子だったら、ママと結婚する!とか言う感覚かな。

 

よくわからないけれど、お父さんを通して映し出される「人を好きになる感情」があって、そのことが恥ずかしくもあり嬉しいような、生まれて初めて叶えたいと願う「小さな恋の感覚」を、幼かった私は父を通して感じていたのだと思うのです。
でもね、父は他人ではなく親であり、私の父でしかない。
この恋を叶えたいと願った瞬間「父は母のもの。絶対に私のものにはならない。無理だ」と自ら打ち消すことになります。

はじめての恋は、心に傷を伴うものだった。

もちろん、子どものころの私はそのことを頭で理解しているわけではなく大人になった今だから言葉に置き換えられることで、子どもの頃の小さな私が、この感覚が「失恋」に近いものだということを解っていたわけではありません。

 

だけど抱いてしまったのですよね。
恋は傷つくものだということを。

 

 

大人になるとは「好きな人は自分のものにはならないんだ」という思い込みを握らされている状態で、恋に挑戦していくことなのかもしれない。

 

私を含めて多くの人たちは、傷心というところからスタートして恋を叶えていくことに挑んでいかなくてはいけならないのかもしれませんね。

 

好きになった人は私のものにならない、というところからのスタート
かなり絶望的な気がします。

 

そして、セクシャルカウンセラーとして活動をしていて気づいたのは、この絶望的な思い込みを握り締めたままだと「愛する人と結ばれること」から遠ざかってしまうことがある、ということ。
それはどんな方に多いかというと「お父さん」という存在を手放せない人です。

 

お父さんを好き、が強い人

お父さんを嫌い、が強い人

このどちらかの感情で、心の中にお父さんを存在させている人です。

 

ただ、留めておくということは「絶対に結ばれることがない」という思い込みも一緒に留めておくことにもなり、人は「ほら、やっぱりね」と思いたい生き物なので、好きな人と結ばれようとすると自分から離れてしまったり、既婚者や彼女がいる人とばかりつきあって「いつも二番手」になってしまったりします。

 

でも、私たちは結ばれない恋に生きるのではなく
結ばれる恋に生きていいのです。

お父さんという存在を手放して、肉体と心で「愛し合う人」を求めていきたいですよね。

 

では、どうすればお父さんという存在を心の中から取り出して、そこに「本来結ばれる人」を鎮座させれば良いのでしょうか。

 

 

お父さんが悲しみの存在となって教えてくれた「これ以上の傷つきは、もうないよ」

 

それは単純に「お父さんを好きなら、お父さんを嫌いになる」とか、そういうことではないのですよね。
それではいつまでたっても「好き・嫌いという感情の支配の中でお父さんを心の中で存在させる」ことになって、お父さんから抜け出すことができないから。

 

なので大人になった私たちに、今できること。

 

それは

これ以上の傷つきは、もう無いよ

と自分で気づくことです。

 

これ以上傷つかなくてもいいように、お父さんが「傷つける存在を引き受けてくれていた」こと。
お父さんが失恋を請け負ってくれたことに気づくことで、生まれてはじめての恋の傷から立ち直ることができるようになっていきます。

お父さんが悲しみの存在となってくれたと、そう捉えてみても良いかもしれませんね。

 

タロットで言うなら、ソードの10

痛みで動けない。だけど目を細めながら見つめた先には、新しい希望の地が見えてくる。
「お父さん、ありがとう。私はこれ以上の辛さを経験しなくて済みます。これからは本当の恋を手に入れていきます。」と、心に誓ってしまおう。

 

あなたの心に刺さった剣と一緒に「お父さん」という存在が溶けて「本来、結ばれる人」があなたの心のスペースに溶け込んでいきます。

 

そして、お父さんと結ばれることはなかったけれど「人を想うことは自分の心を温めることなんだね」という思いは心に残ります。それはあなたが幼い頃に経験した「確かな事実」だから。

 

それに「お父さん」は手に入らなかったけれど、「お父さんと、どこか似ている人」と結ばれてもいいのです。
むしろお父さんと似ているから、その人を好きになったりしたこともあったりしますよね。
(ちなみに私は、父と同じ乙女座の人だと安心したり好きになったりする確率が高いかも)

 

叶わなかった恋の面影を探して、私たちは恋に生きるのかもしれません。

だけどこれ以上の傷つきはもう無いから「どんな恋でもかかってこいや〜」です^^

 

 

 

 

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