神様でも無理と言ってしまいそうなことを、愛する人は叶えたいと思っている。
愛したい
と
愛されたい。
人間としてのラブ
だったり
神様視点のアガペー
だったり。
どんな形での愛でもいいのだけれど。
私たちは愛を追い求めてこの世に生まれてきたのかもしれません。
そして、だからこそ
愛に貪欲。
わたし、遠慮していますけど…??
と。
そう思っている、あなたでも。
「欲しいものを我慢している」という自分や他者に対する愛が溢れ出ているのを、もっと感じてみてください。
欲しくて欲しくて仕方なくて
感じたくて感じたくて仕方ない。
私のこと見て?
私のこともっと必要として?
私のこともっと褒めて?
私のこともっと慰めて?
あなたのこと見てるよ
あなたのこと感じてるよ
あなたのこと想っているよ
あなたのこと聞こえているよ
愛に貪欲な私たちは、時に「自分勝手」な愛に溺れてしまうことが好きなのです。
しかも、それは
とても期待値の高い欲望。
暗闇の中で針に糸を通す以上に難しそうな。
神様ですら、それ無理だから!と言いそうなくらいの、自分だけにしか理解できないような愛の望み(期待)を、愛が好きな故に、愛する人やパートナーに求めてしまうのですよね。
ね。愛が大好き。
そして、さらに厄介なのが
その望む愛を与えてくれない人を裁いてしまうこともあるということ。
時には
上から目線で
時には
遜(へりくだ)って。
私は悪くない
あなたが悪いのよね?
と。
そして、
あなたの愛に対する期待は
時に重く
時に激しく
愛する人を困らせるの。
あー。愛のこじらせ屋さん… 笑
さらに、その要求が難しければ難しいほど快感で、それに応えてくれることに「期待しないから!」という期待をする。
(私を含めて)愛が好きだからこそ愛をこじらせてきた人は、望む愛に対してのハードルが富士山級になるのです。
こんな私でも愛せるのか、教えなさいよ!(←上から目線 笑)と。
だけど、信じてください。
愛する人は、あなたを愛したい
ということを。
神様でも匙を投げるくらいの難しいことでも、愛する人は「願いを叶えたい」と思っていることを。
だからね。
小さな小さな愛でも
あなたが「愛」を感じてください。
受け取る、受け取らないは、どちらでもいいの。
あ、これって愛だった!
と。
気づくことが、とても大切なことだから。
そして、もし結果的に望む愛を叶えてもらえなくても。
それは「あなたが愛されていない」ということにはならなくて、あなたの「期待」というハードルが高すぎただけ。
もちろん、愛する人からだけじゃなくてもいい。
あなたが「お腹空いた」と呟けば、「はい、どうぞ」と持っていた飴ちゃんを差し出してくれる人がいるから。
高級レストランのフレンチ
か
ポケットに入っていた飴ちゃん1個か。
同じ「愛」には違いないのです。
すべて同じ愛なのです。
愛の量を感じる場所は
あなたの器。
期待をするよりも
愛の器を大きくする方が先…
なのかもしれませんね^^
2020年春。
色々と大変なこの時期ですが、大阪の桜も満開になりました♡
あなたの愛が溢れる1日になりますように…