望む愛のある未来のために。一緒に種を撒いていけたらいいなと思うのです。

 

わたしは祖父が亡くなる中学2年生のときまで
母方の祖父と父・母
そして私と妹2人という6人家族で暮らしていたのですが
祖父が建てた家には、なぜか数種類の果樹が植えられていました。

 

一番印象的だったのは、勝手口から出たらすぐに、アーチを作るように植えられていた葡萄。
小さくて青い実しかならなくて美味しい葡萄にはならなかったけれど、家に葡萄の木がある、という。
少しメルヘンチックな感じが、「威厳とか厳格」なイメージの祖父からは想像もつかなくて、私の中では疑問と嬉しさの混ざり合うような不思議な葡萄でした。

 

あとは、無花果(いちじく)と枇杷(びわ)の木と八朔(はっさく)
そして渋くて干し柿にされていた柿の木。

どれも実がしっかりとなって、子供頃の「あまり、おいしいとは思えない」おやつとして、お腹が空いたときは、妹たちや近所の子供たちと取って食べたりもしていた思い出があります。

 

そして、孫のわたしが大人になった今。
祖父がどんな想いでこの果樹たちを植えたのかは、もう知ることはできないけれど。
ただ、そこにはなんとなくですが、祖父の感じる「未来」があったように思うのです。

 

家族に流したかった、祖父の愛。

 

祖父は一緒に暮らす自分の一人娘(わたしの母)とよく喧嘩をしていて、キチッとしている厳し目な印象でした。
ピアノが少し弾けて、私がエレクトーンを習い始めの頃、たまに傍で見ていてくれたりもしたりして。
だけど私は傍で見ていてくれて嬉しいというよりも、緊張するからヤダな…と思っていたっけ。

そんな風に感じるんじゃなかった。
もっともっと、おじいちゃんと話をしてみたかったな。

 

戦前戦後を生きて
愛情を表現するのが上手な方ではなかったと思うのですが、
わたしには祖父の血が受け継がれていることに間違いはありません。

今感じるのは「祖父の果物」は愛だったんだな、と。
身体の奥底から愛を受け取り、愛が溢れ出すのを感じます。

 

 

そして先日、実家から送られてきた荷物の中に、祖父が植えてくれた「はっさく」が入っていました。

 

 

 

荷物届いたよ!って実家に電話をしたら
父曰く、その八朔はまだ酸っぱいかもしれないけど、と。
でも採れたから、私に送ってくれたみたいです。

そう。
祖父からの愛を、両親が送ってくれて、わたしが受け取っています。
祖父の描いたかもしれない「未来」が。
私の中には、あるような気がするのです。

 

 

そして、(誰かにお届けできるほどの量もないので)わたしはこの八朔を誰かにお渡しすることはできないけれど、わたしの感じている「愛」を届けられたらいいなぁと。

 

もっともっと誰にも遠慮せずに

「愛は上から流す」をしていきたいと

父の言ったようにまだ酸っぱさが強い八朔を食べながら、そう思います。

 

 

今まで試行錯誤しながら愛を模索し続けてきて、ようやく素直に、まっすぐに。
私自身が安心して愛を出せるようになったから。

 

まずは、子供たちやパートナーへ。

 

そして
激動の世の中を生きて
恋や愛を彷徨いながら「望む愛」へと突き進む、あなたへと。

 

 

そっと、私の感じる愛をお渡しさせてもらってもいいですか?

 

 

祖父の描いた未来が今に繋がっているように
私たちは私たちの望む愛の未来を、自由に描いていきたい。

 

 

同じ思いで繋がりるあなたに寄り添いながら
望む愛のある未来の種を撒いていけたら嬉しいです。

 

 

2021年も幕を開けましたね。

セクシュアルと心の扉をあけて
人生を輝かせたいと願うあなたを
心から応援しています。

 

 

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